特別メッセージ


「6千人の命のビザと信仰」




 ●聖書 使徒言行録5:29

ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」




 杉原千畝(すぎはらちうね)、今やこの人の名前を知らない日本人はいないだろう。1940年(昭和15年)、ヨーロッパの小国リトアニアの日本領事だった杉原は、ナチス・ドイツの迫害を逃れ、生き延びる唯一の道である日本通過のビザを求めて領事館に押し寄せるユダヤ人を前に、ビザを発行する決断をした。それは本国の命令を無視したものだったが、自分の首をかけてユダヤ人を救うために手書きでビザを書き続けたのである。その結果、6千人のユダヤ人が助けられたと言われている。
 現在では「日本のシンドラー」として有名になった杉原であるが、日本人はそのような人が存在したことすら、長い間知らなかった。杉原は、終戦後帰国してから日本の外務省を解雇され、さらに病気で子供を失うなど、この世の目から見れば不遇な人生を歩んだ。その杉原の名前が知らされることとなったのは、杉原の手書きのビザによって命を助けられたユダヤ人が、戦後杉原を捜し続け、ついにひっそりと暮らす杉原夫妻を見つけてからだった。1968年、イスラエル大使館に呼ばれて行った杉原は、そこのニシュリという参事官から、1枚のぼろぼろになった紙を見せられた。それは28年前、リトアニアで杉原が書き続けたビザの1枚だったのだ。ニシュリはそのビザによって、生き延びることができたのだ。そして杉原の手を固く握って感謝をし、涙を流したのだった。
 1985年、杉原はイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を授けられた。このことが杉原の名前を日本人が広く知るきっかけとなる。しかしこの時杉原は、すでに病床にあり、翌年この世を去ったのである。
 杉原は、ロシア正教会の洗礼を受けたクリスチャンだった。2002年、アメリカのロサンゼルスに杉原の銅像が建てられ、その除幕式に駆けつけた杉原の次男千暁氏はこう語ったという。「政府にそむくことはできても神にそむくことはできない、とクリスチャンの父は話していました。」
 これが真相だったのだ。いくらユダヤ人がかわいそうと思っても、当時の政治を知るならば、それだけで政府にそむいて命のビザを発行し続ける決断をするなどということは、人間にはなかなかできないことである。しかし杉原は、「神にそむくことはできない」と信仰の決断をしたのである。その行動そのものが、言葉にはなっていなくとも、鋭く戦争を告発しているように思われる。
 現在、エルサレム新市街地にあるヤド・バシェム(虐殺記念館)の敷地には、杉原を記念した木が、オスカー・シンドラー夫妻らの木と共に植えられている。
 先の戦争中、日本のキリスト教会は何をしていたのかと断罪する人たちもいる。そのように鬼の首を取ったかのように人を非難することは簡単なことだ。たしかに戦争の前に無力であったことにはちがいない。しかし、前回紹介した、南海の島に看護婦の身代わりとなって残り露と消えた茂木一等兵もしかり、この杉原もしかり、ひとりの無力な信仰者のキリストによる小さなわざが、神によって覚えられていると言えるのではないか。杉原の決死の手書きのビザを手にしたユダヤ人たちは、ソ連を通って日本に渡り、そこからアメリカへ向かうことができた。その日本でユダヤ人たちを世話したのも、ユダヤ協会とともにキリスト教会だったのだ。
 キリストにあるとき、信仰は決して無力ではない。それは種となって蒔かれ、やがて多くの実を結ぶようになるのである。(ヨハネ12:24)

(2005年10月)


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